1999年1月に競馬を始め、同9月に競馬予想にPC&競馬予想支援ソフトを導入、2000年1月に競馬予想虎の巻<JRA攻略 最強のデータベース>を完成させ、同2月に「馬券生活者軍団<IK>最強の競馬予想」HPを開設しプロ競馬予想家になり、同8月に月刊誌『競馬 最強の法則』に掲載された。1年8ヶ月、アッという間の出来事。
「馬券生活者軍団<IK>最強の競馬予想」HPについて、少し詳しく話す。当初俺を含む3名の予想家がそれぞれ1ページを与えられ、無料予想を公開していた。無料予想のルールは、1日3鞍馬連6点以内予想。世間一般の競馬ファンが興味を示すメインレースを必ず1日1鞍含む事。ただし馬券生活者軍団を名乗っている以上、土日公開6鞍全不的中などという事態は話にならない。だから万が一6鞍全不的中などという恥晒しな事態を招いたならば、HP一時追放処分とする。そして各人の代打として、”覆面”に無料予想を公開させる。そして代打予想家”覆面”が、1鞍でも回収率200%オーバーした暁には各人HP復帰を認めるという、こんなルール。そして特典として、”覆面免除権”を用意。5000円以上の配当を的中させたらHP一時追放を1回免除、万馬券を的中させたらHP一時追放を2回免除というもの。
競馬はGⅠにあらず。競馬は重賞にあらず。競馬はメインレースにあらず。俺はこういう考えだったから、メインレースを必ず1日1鞍含む事には反対だったのだが、他の2人との話し合いにより決定した事だったから黙って受け入れた。だがHP一時追放、”覆面”の代打予想は俺のゴリ押しで決定した。馬連6点以内で6鞍予想して全不的中するなんて、とても高水準の予想とは言えないと思ったからだ。そして俺以外の2名は、順繰り順繰り”覆面”に代打予想を許した。”覆面免除権”の発案も、俺以外の2名によるもの。俺は2年9ヶ月間に及ぶHP無料競馬予想公開の中で、ただの1度も”覆面”に代打予想させた事はない。要するに、土日公開6鞍全不的中などという恥晒しな事態は招かなかったという訳だ。ごく稀にだが、土曜3鞍全不的中、日曜厳選レース1&2連続不的中という事があった。だが日曜厳選レース3で確実に的中させ、事無きを得た。逆に言うと、俺が5鞍連続不的中していたら次の6鞍目は超買いのレースだったという事だ。しかも俺は、2001年7月22日(日)分の予想で、厳選レースに函館11R 第37回函館記念(GⅢ)芝2000mを選び、16頭立て14番人気勝浦騎乗15番クラフトマンシップに◎を付け馬連6点流し予想、9番人気松永幹騎乗10番ロードプラチナムとの馬連10-15 13220円(75番人気)を的中させ、”覆面免除権 2回分”をゲットして、その地位を不動の物にした。ただ、”覆面免除権”は1回も使う事なく終わったが。第33回共同通信杯4歳ステークスも第37回函館記念も結果的に俺にプラスの影響を与えたレースであり、両レース共に勝浦正樹という騎手が連対した。だが俺は勝浦正樹に何の思い入れもない。ある騎手を好むとか好まないとか、競馬予想には無用である。
他にも<最強のGⅠ予想>という無料予想や、<最強のメルマガ>という”馬券王”矢口の当日分厳選レース1~3&全競馬場1R&最終レースの無料予想配信なども行っていた。それと<最強のIK会員専用予想>という有料予想配信。1日1競馬場12R全的中の偉業を達成された大川慶次郎氏超えは叶わなかったが、1競馬場12R中11R的中までは何とか数回達成した。だがやはり俺が一番気持ちを込めていたのは無料公開の<最強の的中予想>厳選レース1~3で、『競馬 最強の法則』に掲載された後には、厳選レース全3鞍において毎回「1万円スタート転がし作戦」なるものを開催。俺が雑誌企画参戦時に1万円を11万8450円にして見せた、これを無料公開予想において体験させてやろうという俺の気持ち。無料予想で儲けさせられない奴の有料予想なんぞ怪しいかぎりで、俺がそんなありふれた低俗競馬予想家ではない事をさらに証明する為に転がし敢行。俺は人が崇める事を1つや2つしたところで決して満足しない、俺は止まる事を知らず貪欲に上を上を目指す。
2001年正月競馬は変則4日間連続開催だった。1月5日(金)・6日(土)・7日(日)・8日(月)の4日間、中山競馬&京都競馬。俺は俺を信じてついて来る人間に対しお年玉を用意した。変則開催最終日の2001年1月8日(月)の事である。何度も断るが、以前のHPが消滅している為、詳細を示せない事が歯痒い。だが俺が今から記す事は嘘偽りのない事実で、当時のHPアクセス数はまぁまぁだったので、俺を知る者、俺の以前のHPを知る者なら必ず知っている筈だから、もし怪しいと思ったら生き証人を探して確かめてみて欲しい限り。『競馬 最強の法則』2000年9月号「1万円あれば1日にいくら稼げるか」よろしく俺は、雑誌発売後の2000年8月中旬より<最強の的中予想>厳選レース1~3において「1万円スタート転がし作戦」を毎週敢行した。2001年1月8日(月)正月変則開催最終日、<最強の的中予想>「1万円スタート転がし作戦」は1万円→86万円オーバーを達成した。言うまでもなく無料予想において、俺が公開した全3鞍馬連6点以内で俺の指示した資金配分で転がした結果だ。詳しくどのレースでこういう資金配分でどうなってこうなった、こういった詳細を記せない事が本当に歯痒いが本当の事であり、万が一俺が嘘を付いていれば、泥棒の始まり罪で告訴されてもかまわないし、針千本でも万本でも飲む。
俺の有料予想は100人限定であったから、誰でも彼でも金を払えば予想を手に入れられた訳ではなく、<IK>会員は先着順に締め切っていたから仕方なく無料予想しか見る事が出来ない奴がほとんどだった。俺の競馬予想は金を生むと思って毎週末みんなHPを訪れていたし、俺の「1万円スタート転がし作戦」を実行していた連中も多数いた。2001年1月8日(月)の1万円→86万円は、そんな奴等へのお年玉だ。その年は結局、年間104日間あるJRAの競馬開催43日目に3回目の「1万円スタート転がし作戦」を成功させ、その時点での払戻し総額120万円オーバーを計上。1日1万円資金で1年間JRA競馬に臨んだ場合トータル104万円掛かるのだが、開催43日目で120万円払戻したという事は仮に残りの開催61日間負け続けてもトータルプラス収支を計上したという事だった。2001年の「1万円スタート転がし作戦」は計4回成功を収め、払戻し総額トータル130万円オーバーだった。
競馬で転がしと言うと、複勝転がしなどを思い浮かべる奴が多いかも知れないが、当たっても大した回収が見込めない馬券種別よりも俺は馬連を選んだ。先ず複勝だから当たり易いとか、馬連だから当たり難いとか、そんな短絡的な思考回路は見直す必要がある。無論、18頭立ての複勝は16点購入すれば必ず1点は的中するし、18頭立ての馬連は必ず的中させる為に153点購入しなければならない。18頭立て1点勝負で的中する確率は単純計算で、複勝16.7%、馬連0.7%となり、圧倒的に複勝の方が当たり易いとなるかも知れない。だが1万円という金額を賭けて、3鞍転がって2万円になりました3万円になりましたってソレが何なんだよと、まぁ的中するに超した事はないが。1万円という金額を賭けて、3鞍転がって86万円になりましたってソレこそが競馬の、競馬における転がしの醍醐味だろう。俺は18頭立て馬連の1点勝負的中確率0.7%を10%にも30%にも50%にも上げるように、日々精進して競馬予想研究している。3鞍の転がしが成功する為には、先ず3鞍当てる事が大前提。2001年<最強の的中予想>は、毎月必ず1回は1日3鞍馬連6点以内予想全的中、つまり無料公開全3鞍パーフェクト的中をし、年間トータル13、14回のパーフェクト的中を達成した。土日厳選全6鞍中5鞍的中の準パーフェクトもザラで、2年9ヶ月間に渡るHP馬連6点以内無料予想公開の的中率は当然50%を超えていた。馬券王矢口の予想は2分の1以上の確率で的中するっちゅー事。万券一撃の魔力に魅せられた回収率至上主義の奴らには、的中率50%が何だとなるだろうが、俺は回収率でも結果出してるし、もっと言えば回収率信者の少額払戻し連中と違って、同じ資金でもっと払戻しさせてるからね。的中率と回収率の話は「矢口道場 道場訓 第十条」参照。
競馬予想の天才、ガチンコ馬券師、不遜の塊、1ヶ月前に的中馬券を予告する預言者、雑誌完売請負人、カリスマ馬券師、馬券負け組駆け込み寺住職、万券ゲッター、回収率8600%男、最強の糾弾者・・・様々な肩書きを欲しいままにした。俺は競馬予想も達者なら口も達者だから、俺が毎週末HPで語る言葉も”矢口節”と好評を博し、HPは大盛況となった。生き馬の目を抜く勢いで俺は突き進んでいった。では何故、2000年2月に生まれた「馬券生活者軍団<IK>最強の競馬予想」HPは、2002年11月に閉鎖を迎える事となったのか。
俺の事をここまで突っ走らせた起点は、親友の「凄い!」だった。月々100~150万円の有料予想配信による収入があったが、俺はそんな金が欲しくてやってた訳じゃない。だいたいそんな金無くても生活するのに十分な金を稼いでいた。競馬をやらない連中はどいつもこいつも人の金しか見やがらないが、金なんぞ死に物狂いで働けば幾らでも稼げる。競馬予想はそう簡単にいくはずなく、頭使って、頭使って、これでもかってくらい頭使って、悩んで悩んで苦しみ抜いて、やっとの事で俺はあそこまで行ったんだよ。ただの有料予想じゃなく、優良な有料予想を配信。来る者拒まず去る者は追わずにHP無料・有料予想を発信してきた。始めて2年間は順調だった。
俺の競馬予想虎の巻を持ってすれば、1日3競馬場全36Rの予想を出すのに僅か30分しかかからない。出走全馬に最強指数が付され、その最強指数を見て流し馬券にするかBOX馬券にするかを決めたり、1点勝負にするか6点勝負にするかを決めたり、最終的な買い目を決定するまでに要する時間も予想開始から1時間半程度。厳選レースの選定にも明確な決まりを設けていたから、俺の競馬予想は恐ろしくマニュアル化された物だった。競馬予想に無駄な時間をかけないで、その分空いた時間を競馬予想研究に充てていた。プロ競馬予想家になった俺の悩みは、最低でも金曜夜・土曜夜は必ず競馬予想をせねばならず、尚且つ<IK>会員に有料予想を配信せねばならぬ事。そんな大前提に疑問を持ち始めてしまった。人生半ば終わってる中年オヤジならいいかも知れない、だが俺は全然終わってないバリバリの20代半ばだった。広い部屋に独り暮らし、車は黒塗りのAMG、仕事はバリバリこなすし、金は持ってるし、とにかくブイブイいわせてた。2002年正月時点で26歳だった。
熱し易くて冷め易い、俺はそんな自分の性格に苦しみ始めた。俺がいくら無料予想で弱者救済しようとしても、こいつらは何の進歩もせず、結局俺はこいつらを甘やかしてるだけなんじゃないか。そんな事は俺の望んでる事じゃない。HP予想に飽きがきた事によって、勝手な理屈が頭を巡る。金曜夜呑みに行く、朝まで呑む。でも帰って眠る事は出来ない、HP予想が待っている。最悪でも1Rの発売締切10分前には有料予想を送らなければ詐欺になる。土曜夜呑みに行く、HP予想が待っているから好きなだけは呑めない。そんな義務感に嫌気が差してきた。月~金まで仕事をして、金曜夜から俺の時間、の筈がHP予想をしなければならない。土曜夜もHP予想をしなければならない。土曜夜のHP予想&有料予想配信を終えて初めて、たった1日ちょっとの俺の週末がスタート。以前は全く感じなかったのに、こんな気持ちじゃあ競馬予想やっていけねぇなぁと思い始める。
2000年にHP始動、2001年にHP絶好調、矢口節も舌好調、そして2002年を迎えた。さらなる飛躍を目指すのが普通、今までの貪欲な俺だったら。でも俺はHPを畳む事、畳むタイミングを考え始めた。2001年はHP絶好調と言ったが、光のある所には影がある。2001年、新たな企画として<”馬券王”矢口の勝負レース>を開始した。<最強の的中予想>とは無関係の、俺の選りすぐった勝負レースで俺が購入した馬券をHPで公開するというものだ。第1弾は同年1月8日(月)京都11R第35回シンザン記念(GⅢ)芝1600mだったのだが、不的中。第2弾は同年3月18日(日)阪神11R第49回阪神大賞典(GⅡ)芝3000m、これまた不的中。もう<”馬券王”矢口の勝負レース>は止めた。HPで語る豪快な矢口節の裏で、<”馬券王”矢口の勝負レース>2連続失敗に対する嫌悪感。俺の中で肥大した陰と陽の陰の部分。
2002年はHPを畳む年、だが昨年の<”馬券王”矢口の勝負レース>でかいた赤っ恥を払拭する為に、俺は伝家の宝刀を抜く事を決めた。『競馬 最強の法則』掲載時、誌面に俺が公開した札幌記念の必勝法。この必勝法に関しては、「神の領域」を参照。2002年8月18日(日)札幌11R第38回札幌記念(GⅡ)芝2000mの予想は、2年9ヶ月間のHP予想最初で最後の<1鞍限定有料予想>だった。絶対ぇに当ててやるよ。競馬予想提供会社がよくやる厳選1鞍有料予想、あんなのインチキ極まりねぇが俺のは正真正銘優良予想だぜ、てな調子で。みんな俺が札幌記念を得意としている事を知っていたから、多くの人間が俺の<1鞍限定有料予想>を購入。結果、不的中。これじゃあ”外れ馬券王”、もう存在意義を失った。「”馬券王”矢口は死んだ」とニーチェが言った。
俺が散々馬鹿にしてきた競馬予想提供会社との違いを見せ付ける為に、奴等お得意の厳選1鞍有料予想を行った筈だった。しかも俺の渾身のレースで万全を期した筈だった。でも外した。もう辞め。”馬券王”矢口がHPで予想を発信する意味がない。何とも情けなく格好悪い終わり方。2002年11月にHPを閉鎖すると事前に告知。最後の土日<最強の的中予想>は、6鞍全的中パーフェクトを達成して有終の美を飾った。
こうして2年9ヶ月に及んだ「馬券生活者軍団<IK>最強の競馬予想」HPは幕を閉じ、俺の代わりに世直ししてくれるという希望者全員に<JRA攻略 最強のデータベース>を18万円で販売し、”馬券王”矢口はただの矢口に戻った。